ホーム やまとのヒト・コト やまとの歴史|電気工事業から、電気サービス業へ

やまとの歴史|電気工事業から、電気サービス業へ

2021年7月に創業50周年を迎えた大和電機グループ。ここに至るまで数々のターニングポイントがありました。節目を迎えたわたしたちの今につながる出来事を振り返ります。
この記事は50周年記念誌に収録された内容を再編集したものです。

転換の舞台裏

大和電機株式会社が住宅用太陽光発電設備の事業を始めたのは2005年。日置市から霧島市、鹿屋市、さらに鹿児島県内一円へお客さまとのご縁が広がりました。当時は太陽光発電を手掛ける業者がまだ少なかったこともあり、いつしか業界内から「やまとは太陽光があるからいいよね」との声が聞こえてくるようになりました。一見すると難なく伸びたように見えるかもしれません。しかしその裏には現場で作業をする技術者たち、お客さまへ提案する営業・事務スタッフたちの懸命な姿がありました。

社員一丸となって取り組んだ、電気工事業からの転換。これがなければ今の大和電機グループはありません。

成長の先に抱いた危機感

時はさかのぼり2000年代前半。電気工事一筋を続けてきたわたしたちは、おかげさまで多くの建築会社さまや公共工事などのご依頼をいただくようになっていました。しかし元請企業からの連絡を待つのみでは、どうしても受注の波が生じてしまいます。このままでは経営が厳しくなるときがくる。経営陣は全社員を集めてこの危機感を伝え、今後はお客さまとの直接の接点をつくることを発表しました。

お客さまとの接点をつくる

まもなく始めたのが電化製品やオール電化製品の展示会。事業所で開催したり地域のイベントに出店したりと、外へ開いた活動を増やしました。

住宅用太陽光発電を手掛けてからは企業の認知度をより高めるため、「太陽光発電のやまと」というブランドを発信。広告にご当地ヒーローの薩摩剣士隼人を起用すると、子どもたちを中心に「やまと」という名前が浸透しました。

展示会の規模も大きくなり、気付けば工事部、営業部、事務スタッフ、大和電機協力会、そして経営陣も総出で来場客を迎えていました。

全員が専門家という意識

当時は社員の誰もがお客さまに対応できるようにと、所属の垣根を越えた合同勉強会を頻繁に開いていました。

かんまり

イベント開催に向けて勉強会を何度も行ったと聞いています

事務スタッフもお客さまに十分な説明ができるまでの知識を身につけます。実践の場の一例がIHクッキングヒーターの提案。

事務スタッフがイベントで料理実演を行い、ときには製品を設置されたご家庭を訪問し、料理しながら機能や操作、お手入れの方法を説明することもありました。当時の活動ノートには、どうすれば当社ブースで足を止めてもらえるか、どのような料理が喜ばれるかなど、試行錯誤の跡が記されています。

一方、工事部は展示会に参加する中で接客の言葉づかいや心配りを学びました。技術者であると同時にお客さまへ希望の商品を納めるサービスマン。はきはきとしたあいさつやわかりやすい説明など、施工現場は接客の現場でもあることを自覚した行動が見られるようになりました。

社員全員が電気の専門家であり営業マン。もはや電気工事だけを手掛ける企業ではなくなっていました。

電気サービス業を創り上げる

自分たちの事業を改めて定義したのは2012年のこと。1年間の経営方針を発表する場において「電気サービス業を創り上げる」というビジョンが掲げられました。「電気サービス業」と名付けたのは、当時常務だった岩﨑健太・現社長。言葉にすることで、この約10年の間自分たちが取り組み続けたのはコレだったのだと、全社員が再認識しました。

その後大和電機グループは拡大。電気工事業、発電事業、メンテナンス、再エネ、冷凍冷蔵、計装、電力小売に関わる仲間たちとともに、わたしたちだからできるサービス業を追求しています。

この記事を書いた人:かんまり

この記事をシェア!